大和の国内の大阪一味の物改様仕る。

慶長20年(元和元)乙卯 37歳 大和の国内の大阪一味の物改様仕る。それより大阪再陣の前又命を奉じ、郡山に赴き諸事を沙汰し、直ちに大阪御陣屋に参じ、5月7日家康旗下の列に加わる。大阪落城後、京都へ御供し、福島掃部頭正頼の所領没収されるに付、旨を奉じて大和字多城割奉行を勤む。6月11日、師織部自刃。